味憶について

味憶の見開き

はんで紡ぐ、なんでもない日

そもそもこの活動は、18歳で実家を離れた私が、帰省することも少なくなり、母の手料理を食べる機会がめっぽうなくなったころ、これはきちんと「記録」する必要があるのではないか、という想いからはじめたものでした。

なぜ記録するか、それは私の母が決して体が強い方ではなく、あと何度手料理を食べることができるのかわからないからでした。もちろん、レシピに残したとて母の手料理そのものが食べれるわけではありませんし、完全に再現することが不可能なこともわかっています。それでもそのエッセンスだけでも記録できれば、仮に母がいなくなったとしても、遠く離れた地でも、懐かしいなんでもない日を思い出せるのではないかと考えました。

そうして我が家の「コロッケ」を本にまとめることにしました。

その時がきて

結果として、本にして心底よかったと思っています。

そして、これはレシピ本とにとどまらず、ある人にとっては思い出の1ページであり、はなむけであり、自分が生きてきた証にもなりうるような、とても大切なものになるのではないかと思うようになり、サービスとして始めたのでした。

そうして細々と活動を続ける中、母が他界しました。

四十九日をおえた弟のSNSへの投稿を引用いたします。

先日、母が亡くなりました。78歳でした。お通夜の時に何年かぶりにこの本を見返しました。学生の頃は当たり前だった毎日台所に立つ母親の姿が記録されていました。実家を離れてからその光景を見ることは次第に少なくなり、ここ4~5年は実家に帰っても台所に立つ姿さえ見ることができませんでした。

参列も落ち着いた深夜、控え室でゆっくりページをめくりながら、料理をする母の記憶をたどりました。もう母の料理は食べれないんだなあとしみじみと感じながらも、本を見るとあの台所の母の光景に出会える。あの場所でした笑い話や口喧嘩、相談事…色んな記憶が蘇ってくる。
本に残してくれた兄に感謝しました。

そして、つい先日四十九日を迎え、法要後の食事会の中で兄がこの本をもとに従兄弟や親戚に「おばちゃんのコロッケ」を振る舞いました。確かに懐かしい母の味がそこにはありました。みんなも懐かしいね、そうそうこんな味と喜んでくれました。まさに、母の味が子に引き継がれた時間だったと思います。

私も同じ気持ちでした。残して本当によかった。
自身の親の死に際し、後悔がないことはない、とよく言われますが、これがあったおかげで少しだけ前向きな気持になれました。

そして、この本の持つ意味を改めて実感した今、やはりより多くの人に「味憶」を作ってもらいたいと強く思うようになり取り組み自体を見直すにいたったのです。

出産、進学、成人、ひとり暮らし、就職、結婚、記念日、退職、終活 …
人生の節目に味憶を残しませんか?

孫の手伝いを見守る母
山崎達樹

味憶 MIOKU 発行責任者
カラクリワークス株式会社
山崎 達樹(タツキ)